生活したいと思える街に! 亀岡は生涯学習都市です。
今年は雪が半端ないですよね。
どこが暖冬なのか、教えて欲しいですよ。
寒いのが苦手な私にとっては、春が待ち遠しいです。
高齢者福祉に関する地域の集い
これに参加してきました。
このときも雪が舞う寒い日だったのですが、約50名ほどのご高齢の方が参加されていました。
しかも、その約9割ぐらいの方が現在、一人暮らしのご高齢の方でした。
事態は深刻だと思いました。
このような集いに参加できる方は、自分で行動し、日常の生活に不自由があったとしても、他に接点を持とうとされているので、今は大きな心配も不要かもしれませんが、問題は、このような場に出ようとされない、もしくは、出たくても出られない方です。
しかも、その存在は潜在的であるため、しかも、近年は個人情報保護の観点から把握が難しい状況にあります。
地域の民生委員の方は、ある程度はご存じでしょうが、おそらく外形上に留まるために、その方が実際に必要とされている支援の度合いや方法(手段)までを把握するのには、自ずと限界があります。
だって、民生委員さんは、福祉の専門家ではないですから。
しかも福祉の手を差し伸べる必要の有無を判断するには、相当に踏み込まなければ判断できませんが、ご本人がそれを望まれなければ、強制的にできるものではありません。
よってまずは、何らかの形で接点が持てなければ、何もできないことになります。
これが難しいんですよね。
押し付けの親切は、迷惑でしかありません。
その一方で、手を差し伸べてもらうことを、必要とされている方も、確実に必ずいらっしゃいます。
つまり、支援を行おうとする手を握り返してもらうには、こちらからの一方的な意思では成り立たないのです。
どうすれば必要な支援を意思表示してもらえるのか。
また、適切なところに、支援の手を差し伸べることができるのか。
例えば、傾聴ボランティアさんの活動は、そのための窓口(入口)としては、大変効果的であると思います。
無償による地道な活動でもありますから、本当に頭が下がります。
そのなかで、せっかく繋いだ手と手ですから、どのようにその方に寄り添って、必要な生活の支援をして差し上げられるかが、とても重要だと思います。
つまり、お話を聞く、悩みを聞く、希望を聞くことから、さらに一歩前に進むためのお手伝いをして差し上げたなら、その方にとって、今までとは違う生活が待っているかもしれない。
このお手伝いについて、行政書士としてできることはないかと、考えています。
行政手続の専門家であり、街の法律家として暮らしの相談に応じている行政書士なら、行政庁、社会福祉団体、民間事業者、他の士業者などと連携して、事態を動かせるような取り組みができる可能性があると思っています。
もちろんこれまでも、社会福祉協議会や地域の民生委員さん、介護ヘルパーさんなどが必要に迫られて、行政とともに何らかの最低限で必要な対応はされてきたと思いますが、事態が切迫してやむを得えない事態になるまでは、手を出せなかったのが実際だったのではないでしょうか。
これを、もし行政書士の立場と経験から、いわば予防的に生活支援の手助けができたなら、本人さんのこれからの生活を、違ったものにできるかもしれないと考えます。
どうすることもできない数歩前の段階で、一歩先に進むためのお手伝いがしたい。
これが私が社会福祉に携わる動機であり、目的です。
社会福祉の現場は、それぞれ専門の役割分担が重要です。
行政と民間、ボランティアの調和のとれた融合が不可欠です。
そのなかにあって、決定的に不足している分野は、法律的に実働できる存在だと感じています。
福祉のサービスを受けるため、生活を支援するための手続きをもって支援できる専門家として、行政書士には果たせる役割があると思います。
この考えにご賛同いただける他の士業(弁護士や司法書士、社労士、税理士など)の先生がいらっしゃれば、もっと大きな成果が期待できるのではないでしょうか。
亀岡が社会福祉で先進的な都市となれるよう、願っています。
みなさんも私も「亀岡愛」があるからこそ、この気持ちを大切にしたいですね。